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アメリカのH大学で教鞭をとるようになってからも、ヨーロッパ貴族のような生活と趣味を好んだので、たいそう物入りだったという話もある。 この十数年、日本の経営者やマスコミはあまりに安易にSの「創造的破壊」という言葉を使いすぎた。
しかし、この言葉が最初に登場する一九四二年刊の「資本主義・社会おそらく、精神においても貴族主義を貫いたSにとって、古いものを土足で踏みつけるような起業家たちは、胡散臭く感じられただけでなく、嫌悪の対象だったにちがいない。 しかし、彼は、資本主義のエンジンであるという一事において、胡散臭い起業家を高く評価してみせたのである。
私は幾つかの偶然から、八○年代に持て雌された若き起業家たちの多くに近くで接する機会があったが、Sが描き出した起業家の性格は、約七十年後もあまり変わりないとの印象を受けた。 服装や礼儀にだらしなく、散漫な言動が目立ち、際立った教養もなかったが、ビジネスで他を出し抜くことだけには全神経を集中する。
そのためだろう、Hの言動やスタイルに、私は昔みた映画のような既視感をもっただけだった。 では、Hやその仲間たちは、「新結合」を生み出した起業家なのだろうか。
とてもそうとは思えない。 主義・民主主義」(東洋経済新報社)の結論が、資本主義が終罵を迎えるというものだったことを知って使っていた人は多くないだろう。
その理由としてSは、起業家の無用化、サポートする階層の壊滅、制度的骨組みの破壊、知識人の反発、世論の批判などを挙げているが、要するに資本主義が「経済的には成功、社会的には失敗」(L・H「世俗の哲学者たち」タッチストーン・ブックス、邦訳は「入門経済思想史世俗の思想家たち」ちくま学芸文庫)となる事態を予想し、そのときには「創造的破壊」は働かなくなると見たわけである。 この予言ははずれた。
しかし、起業家として登場してくる者たちが、最初からアブク銭だけを目指し、起業家を盛り立てるべき人々が、彼らを単なる投機の対象としか考えなくなれば、起業家はたちまち似非(えせ)起業家となり、創造でなく破壊だけを旨とするようになるだろう。 Sは「新結合」を生み出すのは起業家たちの才覚だとするいつぼう、本物の起業家を見つけ出し融資するのは銀行家の見識だと考えていた。
だが、才覚も見識も「強欲」に取って代われば、それこそ「創造的破壊」が衰退する日がやってくる。 残る問題は、胡散臭い起業家の挑戦が、単なる「破壊」ではなく「創造的」でもあると、いったい何によって判断すればよいのかということだ。
Sは百年単位で振り返って、起業家が古い仕組みを破壊し新しい仕組みを創造する「創造的破壊」が資本主義の本質だと述べているにすぎない。 いってしまえば、事後的に経済発展の全体を説明するさい、便利だから起業家はそういう任務をもっていると述べただけなのである。

誰が本物で誰が偽者かの判断基準は、Sにも明らかではなかったといってよい。 したがって、未知の起業家が登場してきたとき、まずは疑いの目を差し向けてしかるべきなのだ。
ところが日本の経済マスコミは、話題性さえあれば「創造的破壊」の天命を受けた起業家であるかのように称賛してしまう。 しかも今回は、K政権が「構造改革」の名の下に日本経済をアメリカ型に改造中の出来事だった。
改革騒ぎにどっぷりと漬かつていた者の目には、アメリカでも多くの似非起業家が跳梁したことなど思い出せるはずがなかった。 そもそも、アメリカのベンチャー企業は、本当に洞察力があり面倒見のよい出資者を獲得し続けることができたのだろうか。
カリフォルニアのシリコンバレーに、ベンチャー・キャピタリストと呼ばれるベンチャー企業への投資家が存在したことはたしかだ。 彼らは、将来性のある技術を見抜き、六○年代のシリコンバレーにおける最初の創業ブームを支えた。
また、他人のお金を集めて投資するベンチャー・キャピタルに対して、エンジェルと呼ばれる、個人資産をベンチャー企業に投資する人々の一群もいた。 彼らは起業家として成功し、すでに巨大な資産を手にしたので、資産運用の一環として自分の「後輩」にあたる若者に投資しようというわけだ。
彼らこそ日本人が描く、天使のような出資者の原型だろう。 ところが、八三年から八六年にかけての「PCバブル」(パソコン・ブーム)のころにはかなり様子が変わってくる。
大儲けした話がいくつも生れたため、ニューヨークあたりに本社のある投資銀行のMBA(ビジネス・スクール卒業資格)を持つ社員がスピン・アウト(脱サラ)してやってきて、この地の古参ベンチャー・キャピタリストに対抗し始めた。 やがて、巨大な投資銀行もベンチャー企業上場後に実現する巨大な収益に目をつけて進出し、新参のベンチャー・キャピタルに巨額の資金を預けるだけでなく、自らもIPO(上場)ビジネスを展開するようになった。
これはぼろい商売になると気がついたわけだ。 もちろん、昔ながらのベンチャー・キャピタリストやエンジェルが、まったく消滅してしまったわけではない。

しかし、ブームになればなるほど、つまりベンチャー企業が多くなればなるほど、巨大な投資銀行のペースで、有望なベンチャー企業発掘が行われることになったのである。 金融機関が中心になって事業を考えるようになると、いつか夢を実現して世の中の人たちにIC製品を買ってもらおうという発想から、なるたけ早く大儲けして投資の実績をあげようという発想に傾くことになる。
それがバブル期になれば競争が激化して、すぐにでも投資の実績をあげるためにある程度の儲けだけでいいというところまで行ってしまう。 九○年代後半、シリコンバレーに生じたのは、まさにこの現象だった。
当時のシリコンバレーに起こった現象を克明に記述した、B・BとC・Bの「インターネット・バブル」N本経済新聞社)は、ますます投機的になるベンチャー・キャピタルについて次のように述べている。 競争の激化は、同時に、投資をすばやく決定しなければならないというプレッシャーを強めた。
適切な注意や背景調査も、本来やるべきレベルとは程遠くなった。 N・Eのジェネラル・パートナー、Mは、「以前よりも乏しい知識をもとに、以前よりも早く決定しなければならない」と言う。
一方、こうしたベンチャー・キャピタルと組んで、上場のアドバイスを行ない、さらには、その後の資金調達でも多くの収益を狙う投資銀行はどうだったろうか。 からくりはこうだ。
金は、いわゆるスポットライトを浴びている起業家の会社へと流れ込む。 起業家、従業員、その他の創業者は普通株を取得し、出資者―玄人の投資家、いわゆるベンチャーキャピタルは優先株を取得する優先株というのは、大いにうまみがあるほかの者が一文も拝ませてもらえないうちに、まずは投資分を取り戻し、加えて収益を懐に入れるのだから。
つまり、十分に調査をすることが出来ず、そのベンチャー企業が本当に将来的に成長するか分からないとなれば、投資する側も自分たちが損をしない方法を考えるようになるということだ。 投資銀行はこの当時、株式上場を実現した暁には上場で調達された金額全体の七%から八%もの手数料をモノにできた。

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